秋来ぬと・・・ 立秋を前に、江戸は本郷界隈をそぞろ歩き。
今年の暦では8月8日が立秋、お天気予報ではその後も各地、厳しい残暑が予想されています。
秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
藤原 敏行
この猛暑でも古から日本では、体感や視覚でなく聴覚で秋を待つ繊細な感性と風情があったようです。
さて先日、東京大学構内であるシンポジウムがあり、「グリーンビズ」の紹介と展示がありました。
司馬遼太郎いわく、「西洋文明の受容と分配を担った配電盤の役割を果たした。」
この本郷構内は50年以上昔、昭和30年代に見た記憶では、子供心になんとも硬質な暗い印象でした。
が時は平成、夏の木陰を興味深く散策しながら、馬齢を重ねたことで面白い発見もあり、暫しご紹介。
有名なので赤門が正門と思っていたらこちらが正門、
現在は開閉しやすいアルミ合金製のレプリカに取替え
られ、大正期に建造の鋼製の門は駒場に保存らしいです。
左右の御影の門柱をわたす冠木(カブラギ)の中央は
菊の御紋章と思いきや、後程調べると、めでたい前兆
として現れる瑞雲から昇る旭日を表している由。
なるほど。
鬱蒼たる樹林の中に佇む「心」をかたどった池で、
夏目漱石の小説「三四郎」で幾度か登場。
田舎者の三四郎を手玉に取る里見美禰子さんと
邂逅したのはこの写真の辺り、かな。
この日も若い男女が語らっていました。
青春の甘ずっぱい思い出と共に・・・迷羊(ストレイ・シープ)。
※江戸初期に加賀前田家三代・利常公が築造。
400年近く前、東大創立より古い。
東大正門から本郷通りを南下し、目立つのが赤門。
広く知られた東大のシンボル。※但し、裏から見る
本郷構内は当社のある金沢所縁の加賀藩前田家の上屋敷
19世紀初め、徳川将軍家息女を迎える際に造られた門。
朱色の門は将軍家から夫人を迎える場合の慣習で、
以前は、尾張家・紀州家・仙台伊達家にもあったよう
ですが、現在はここだけ。
関東大震災では、本郷構内のほとんどの煉瓦建物は倒壊の中、
赤門は破損を免れて、江戸の職人技術を証明しています。
表は露出度が高いので、裏から見ました。
関係ないですけど、弊社本拠の一つ小松市には、北陸では珍しい刀削麺を出す中華料理赤門があります。
本郷から言問通りを挟んで北には、往時は本郷区弥生向ヶ丘、
農学部の弥生キャンパス。
かつての旧制一高(東京大学教養学部)があったところで、
門を入ると直ぐに大きな椎の木。
♪・・・治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て
向ヶ丘にそそり立つ五尞の建児 意気高し
ここの貝塚で発見された赤焼きの軟質土器が由縁となって、
日本の文化史・生活史として「弥生時代」と命名。
ちょうど角の交番の横に地名表示がありました。
足元でマンホールの蓋を見ると、写真から時計回りに、
「東京帝國大學」、真ん中に「暗渠」とあります。
多少摩耗しているものの、はっきり文字が読めます。
~~~ 昔のことをぞ 偲ばるる ~~~
まだまだ歩くと面白いことを見つけそうですが、ここまで。
なかなかのミステリアスな空間を体験しました。
関連リンク:保水セラミックスパネル「グリーンビズ」