京都・洛東逍遥、そして丹後紀行・・・大江山 いくの野の道の遠ければ(3)
カテゴリー:その他 タグ:セダム, その他 2016年05月25日
ライダーが喜びそうなワインデイング・ロードを車でひた走り。
ここは、平安初期、源頼光(みなもとのらいこう)とその四天王の物語、
「鬼退治」の酒呑童子(しゅてんどうじ)で名高い鬼の里。
周囲は、山・山・山・・・、携帯電話は範囲外。
怖いとはとてもいえない、ゆるキャラ系の青鬼・赤鬼が、そこかしこに。
《大江山》
大江山いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
小式部内侍
大江山にまつわる百人一首にもある有名な歌、高校の古文の教科書にあったような・・・。
思い出しつつ以下を記述。
小式部内侍の母は、平安朝の有名な女流歌人・和泉式部、夫の任地の丹後国に赴き不在。 この時ある歌合で、“七光りの小娘”と小式部内侍を軽んじていた権中納言・定頼から、 「お母上がご不在では、歌合で詠む歌にお困りでしょうね。 お母上の丹後の国にお使いを出しましたか? お母上にお願いした歌は届きましたか?」 との皮肉に対し、即興で応えた歌がこの歌。 ・・・歌の意味・・・ [その1]大江山を越えて行く 野の道は 遠すぎて 母のいる天橋立には踏み込んだことすらなく 見たこともありませんよ。 [その2]大江山を越えて通る生野の道ですら あまりにも遠く 母のいる天橋立からの文は まだ届かないので見てもいませんよ。 |
当時は、歌を受け取った人は返歌で応えるのが礼儀。
しかし、掛詞で2つの意味を込めた歌の見事さ、即興の早さに、定頼中納言は返歌ができず。
慌てふためき、引き止める袖を払って逃げた人々の嘲笑をうけ、小式部内侍の評判は高まった、
というお話し。
例えば会社で、女性新入社員が少し偉そうなオッサンの嫌味に対して、機知と機転でやり込めた、というお話ですかいな。
なんとも痛快で小気味いい逸話です。
***** もっと一服 ~ 宮津懐石「山音」にて(3)~ *****
焼物に継いでの器。
豆腐に万願寺唐辛子に木の芽味噌、ほんのりと懸った粉山椒。
木の芽の薫りと山椒の辛さ、万願寺のほろ苦さに、季節感という調味料が加わります。
以前は、粉山椒ではなく丹波産ハッタイ粉だったそうですが、製造していたお店が廃業し、これといった材料が見つかるまでは、とのこと。
さてさて真打かな?
季節の柏葉の下には、天然ヒラメを道明寺粉で包みタケノコを添え、利かせた出汁での道明寺蒸し。
添えられた香の物は三品、季節の青菜・胡瓜・大根は素材の味を残した薄塩で甘く、サラダ感覚です。
主張することもなく、ごく控えめな脇役に徹しています。
〆には生姜ごはん。
そして生菓子は、黒糖ジェラート抹茶掛け、イチゴに黄身クリーム。
⑤ 《豆腐・万願寺の木の芽味噌がけ》 ⑥ 《道明寺蒸し》 ⑦ 《お菓子》
さてここ山音のご主人、かの京都・東山は瓢亭で修業し、現在、奥さまと中国・上海にも料理指導
に行かれるようで、和食文化の伝播に努められているようです。
一考すると、取りにくい予約がますます、といらぬ懸念をしてしまいます。
飄々としたご主人ながら、若い頃には人生に迷い、弊社本社のある金沢市にある、これまた老舗懐石
「つる幸」のご主人に相談されたことがあるそうです。
その時食べた「あんころ餅」が美味しく、竹皮で包んであったことは覚えているものの、銘柄が
思い出せない、とのことなので、おそらく松任の「圓八(えんぱち)」とお話ししました。
会社で、松任出身のY.S.君に話すと、心なし鼻高々、嬉しそうでした。
この懐石を頂き、感じたことは。
待つ間の期待感、食前の見映えの楽しみ、食中の食材・味覚の楽しみ、食後の余韻の楽しみ、そして
接客の気持ちに触れる心地よさ。
お料理を頂く中には、悠として凛とした時間と贅沢な空間、があります。
懐石は、旬材・素材・心取り、が三原則といわれます。
人として、社会人として、企業人としても、見倣うべき´おもてなし´の極意かもしれません。