《北陸故地巡礼》 宇宙からの「信濃の国」・・・自然と水の大切さ
先日、国際宇宙ステーション滞在中の宇宙飛行士油井亀美也さんが故郷の県歌「信濃の国」を
披露し、随分と話題になりました。
♪ 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
――― しなののくにはじゅうしゅうに さかいつらぬる くににして
聳ゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し ・・・
――― そびゆるやまは いやたかく ながるるかわは いやとおし
さすがに教育県、明治時代に師範学校女子部のダンスで歌われたのが初出とか。
長野県民なら誰でも歌えるらしく、松本出身の友人が飲むにつけ折につけ歌うのを聞き、信州の
地理・歴史・人物を織り込んだその勇壮な節回しは、一回聞くと耳から離れません。
♪ 旭将軍義仲も・・・皆此国の人にして 文武の誉れ類無く・・・
この「信濃の国」五番の一節の旭将軍・源(木曽)義仲、信州木曽谷から平家追討の兵を起こし、
京都への道を北陸道から上りました。
このため北陸各地にはその史跡が多く残ります。
《旭将軍・源義仲公像》 《義仲奉納の鏑矢》 《倶利伽羅合戦・源平配置図》
富山県小矢部市・埴生八幡宮 埴生八幡宮所蔵の複製
まずは富山県小矢部市の石動駅近くに埴生八幡宮があり、ここで義仲は必勝祈願を行い持参の
鏑矢を奉納し、越中・加賀の国境の倶利伽羅峠で平家10万と対峙します。
源平一進一退の中、義仲は詭計を用い、夜半、500頭の牛の角に松明をつけ、平家の陣に放ち
大混乱した平家軍1万8千余りの兵を地獄谷へと追い落とします。
《倶利伽羅峠・平家本陣跡》 《火牛像—-牛が二頭》 《古戦場・地獄谷》
中央が、総大将・新三位中将 牛の角に松明(たいまつ) 平家はこの底に・・・
平維盛、脇に薩摩守忠度の座所
ちなみに牛の角に松明を掲げたらどんな動きをするか、を試した人がいたそうです。
結果はご想像にお任せします。
またこの近くには、北陸道の面影を残した古道、松尾芭蕉・十辺舎一九が立ち寄り「奥の細道」や
「越中道中膝栗毛」でその賑わいを記した「不動の茶屋」跡があります。
芭蕉のこの地での一句
義仲の 寝覚めの山か 月かなし
《北陸道・古道》 《北陸 不動の茶屋跡》
※あまり関係ないですが、石動駅には、評判のうどん屋さん、昆布だしの強い汁と柔らか麺
で、いなりうどんは当地では珍しいキザミの関西風。 月見天ぷらうどん一杯430円。
また加賀に至っては、ある逸話に沿った故地があります。
~ 倶利伽羅の戦いで大敗した平家軍は、現在の加賀市篠原町あたりで陣を立て直し、決戦を図るものの、
義仲軍を阻止できず、再び敗走。 この中で踏みとどまる武者ただ一騎。
錦の直垂の装いながら名を決して明かさず、義仲の将・手塚太郎に討たれて劇的な最期を遂げる。
首実検の際、義仲配下の樋口次郎が気づき、首を池で洗うと黒髪が白髪に変った。
この人こそ幼子だった義仲の命を助け、木曽谷に預けた義仲の恩人・斎藤別当実盛であった。~
この後、義仲は斉藤実盛の残した冑と直垂を小松市の多太神社に奉納し、その供養を弔い、この冑と
直垂は今もこの神社に残ります。
芭蕉は「奥の細道」行脚でここに立ち寄り、この兜を手に取り、地において
むざんやな 甲の下の きりぎりす
・・・その昔、樋口次郎は老将の首を検分し、「むざんやな」と涙したそうだが、
その甲の下では、秋の哀れを誘うように、今、きりぎりすが鳴いている
《斉藤実盛の首洗池》 《多太神社》
加賀市・片山津ICの近く 小松市・JR小松駅近く
「信濃の国」から派生し、信濃の国から北陸へ、と旭将軍が誘うかのように案内しました。
冒頭の油井さんは取材後に、「長野県は緑も多く、自然を大切にしないといけないと思う。
・・千曲川が流れているが、海に囲まれた日本を見たら水の大切さも感じた」
と結んでいます。
この言葉には、郷土への愛着と自然への畏敬が表れており、つくづく日本人。です。
****ちょっと一服***
信州と違い、石動駅で紹介したような“うどん文化”の北陸。
水よし空気よしで、美味しい蕎麦屋さんがありました。
石川県能美市にある「手取川竹やぶ」・・・千葉県柏市にある蕎麦屋さんののれん分けとかで、
ステンドグラスの大正浪漫を思わす店内。
サバ節との合せかな?上品なダシとキレのいい蕎麦。 だし巻き卵も絶品です。
《店 内》 《天せいろ》 《冷やしにしんそば》
大正浪漫な雰囲気 季節野菜とのコラボ なんとも珍しい!